2014年01月06日

永遠の0 原作と変えたところがクローズアップ

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話題の「永遠の0」を見てきました。

知人からススメられて貸してくれたので原作を先に読んでいます。

「0」とはゼロ戦の0ってことですね。
連合艦隊、航空隊、特攻とゼロ戦と伴に戦い最後に散っていった、天才的ゼロ戦乗り宮部を主人公に、その孫が、宮部という人間を知りたく知っている戦友達に話を聞いていく、というストーリーです。

貸してくれた知人は何度も泣いた、と言ってました。
また、原作者の百田尚樹氏も試写会で号泣していたとか・・・

で、原作を読んでいて、映画を見ると、この部分が無かったな、とか、この部分は違っていたな、とか思ってしまいます。で、原作と変えたところが不自然に思えてしまいます。
(無理に変えたからかと勘ぐってしまうのですが・・・・)

【シーン1】・・・合コンの場面。

原作では、「特攻は今の自爆テロと同類と見られている欧米からは」これを主人公の姉(新聞記者)が主張し、主人公(浪人生)に言ったり、その後、取材(かつての戦友)に主張します。

主人公は、納得出来ないけども上手く反論できないでいたのですが、取材相手の経済界の会長に話した時(主人公・姉と同席した)、
散々に反論されて、戦争責任はマスコミに大きい、今のマスコミも同類だ!とと批判されて追い出されました。


これを映画では、合コンシーンで
友人たち(主人公が司法浪人しているので、友人たちもインテリ?)が、この主張(特攻は自爆テロと同類に見られている)と言われて、言い合いになるシーンに変えています。


で、思ったのが、このシーンへの違和感です。
1 合コンでそういう話しないでしょ。
2 若い(26再設定)でそういうこと関心あるのかな?個人的にあってもそれが複数いて議論になるか?
3 席(座り方):4対4の合コンで、男・女・男・男(主人公)と対面はその反対って、なんだこの変則的な座り方は(’へ’)。

合コンで多いのは
男と女がテーブルを挟んで対面している。
男・女・男・女、反対側も同様、という風にする
という2つで、映画のような座り方はおもいっきり不自然。

で、原作と変えた理由を推察するのですが・・・・・
原作で批判されたのは新聞記者=マスコミ。私もこの新聞記者のような人間は大嫌いですが、原作者も批判したかった類の人間で、それで嫌な感じに書いたのかな?って思っています。

で、映画でマスコミ悪く描くシーンは、マスコミからの心象を悪くするため、映画会社が嫌ったのではないか、ということですね。

結構いい線言っている気がするんだけど、どうでしょうか?

しかし、マスコミ批判の場面そのままやって欲しかったなあ、って。
私は好きな場面だったので(この手の人間が昔から嫌いだったら、こっぴどくやっつけられるのが痛快だった)


【シーン2】

(映画)
主人公宮部が特攻で戦死し、同じく特攻で生き残った教え子がその奥さんと子供を訪ねます。そして、何度か行き来した後
奥さん「あの人は約束を守ったのです。あなたはあの人の生まれ変わり。あの人は例え死んでも生まれ変わって帰ってきます。と言いました。」

と、この後結婚します。


しかし、原作にはこういうシーンはなかった。
宮部は「必ず帰ってきます。」とは言ったが例え死んでも生まれ変わって、などとは言っていない。

ここは、上記の台詞を言わせるのが映画のシーンとして見栄えする、という判断なのだろうけど、やっぱり不自然でしょ。って言いたくなりますね。

後、エンディングが妙に明るい感じで、これは作品とイメージが違うでしょ。って


以上3点映画の方を批判しましたが、
全般的には原作にそったいい作品だったと思います。
周りで泣いている人も多かったです。
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