先日は朝礼で所長の訓辞の中で意識改革なるものがあった。
これは、身近なことで考えると・・学ぶと言うことだ。にんげんだれしも生まれたときは、動物と同じだ。ここから学んで、日々意識改革をしていく。これが人間たる物の所以だ。
では、何から学ぶのか?
まず、経験だ。その時点での自分の持っている知識・技量でやってみてどうだったのか?その結果を、フィードバックして、修正していく。・・・これが「経験を生かす」ということである。
次に、文章だ。ここが動物と人間の違うところ。・・・・我々は、自分の経験を文字として残すことができる。だから、歴史をひもとき、人の経験を糧とすることが可能なのだ。
私は、以前米国で研修を受けたことがある。そこでは、こんな落とし穴があった。罠があった・・文字通り命を賭して作られた先例が記されていた。これを学ぶことは大きい。
それから、人だ。我々は人との関わりの中で生きている。と言うことは日々人に感化され影響を受けていると言うことだ。・・・・私も沢山意地悪な上司に使えたことが多い。(笑)しかし、そう言う人からも学ぶことはある。一つは反面教師として・・二つは、忍耐の鍛錬として・・・・・また、後から思い出してみると、この嫌な上司の方が記憶に残っていたりする。
最後に、本だ。多くの人の考えたこと・・もう絶対に合うことのできない故人とも書物の中では出会うことができる。
また、我々が学んだこと・体験したことを後生が知ることができるよう文字にして残す。これも責務だ。
このように人間、日々学んでいる。これを死ぬまで続けるのが生きる。と言うことだ。
「意識改革」というと遠いことのように思えるが、このように「学ぶ」と置き換えれば身近にイメージできると思う。

1週間前に朝礼があり、所長の訓辞があった。確かに、「意識改革」(他2件)の話をしていたが、あまり印象に残っていない。それ以上に、身近に思えなかった。まぁいつものことだけど・・・
無理に思い出してみると・・・・
「我が所でになう業務は重用である・・・という意識改革が大切だ。」
こんな話だったが・・・もちろんこんな抽象的かつ一般的話は印象に残らないのみならず、何かやってみようというリアクションは出てこない。
それを受けて、今回の部長朝礼訓辞になるが・・・
こちらは、身近に“なるほど”と印象に残った。
「学ぶ」は、体験・人・書物より・・・というのが実体験も交えて印象に残った。
疑問点2点
・話の中に文章と本が出てきたが、これは同じ種類のものとして私は認識してしまうが、どうなのだろうか?(話しでは別の項目で出てきた)
・「意識改革」と「学ぶ」が同じことだろうか?
所長の話した「意識改革」は我々が携わっている業務は、重用だ・・という意識を持て!という意味だ。「学ぶ」は確かに「意識改革」にはなると思うが、所長のいう方向とは限らない。、“もっと大切なことに気づいた。“別の業務の方が大切に思える”・・・・学んで視野が広がると、こういう方向に意識が行く可能性は十分に考えられる。
今回、部長訓辞の最初に出てきた「意識改革」の言葉は、話の導入として用いた「所長訓辞」であって、実際に所長の話を受けての物ではない、と考えた方が通りが自然だ。
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