直接関連はしないが、父のことを思いだした。
中学生以降、私は父にほとんど敬意を持っていなかった。
私が学校で習ってくる知識を父はほとんど持ち合わせていなかった。
歴史・数学・物理・地学・・・・・
“なんにも知らないなぁ”と思ってしまう。
これが自分の経験に基づいた、人生観やらなんなりを語り、説明してくれれば学校の知識とは関係なく、見方も違ってきたのだろうけど・・・
残念ながら・・そう言うことを語る性格ではなかったし、また、説明することが極端に下手(というか説明しようと言う意識もあまりない)だった。
もっと小さな小学生の頃など、きつく叱られたことが何度かあったが、
(一番叱られたのが、学校の先生に「ダボ(方言)」とかを何度も言っていた:ことが父の知るところとなった)
父「お前、そんなことをしたのか!」と叱られ
私「それのどこが悪い?」
父「口答えをするな!」
と言っては殴られた。
今思うと、当然のことではあるが、当時は自分が悪いとは思っていない。
この頃、私は屁理屈をこねるのが得意だった。
父はその屁理屈には堪えられずに、腕力で押さえつけられるのが、たまらなく悔しかった。
大きくなったら父を殴ってやる・・いつしかそれを普通のことのように思っていた。
父が口の立つ人間で
「これこれの理由でお前が悪い!」と諭されていたならば、その後殴られても、私の意識は大分違ったと思う。
(それは今でも残念だ)
ということで、小さい頃は反発心、高校生になって、ちょっと軽蔑していたような・・そんな意識になっていた、ということである。

さて、葬儀である。
私の父は10年前に逝った。
私はそのとき、もう東京に出てきていた。
実家からの電話でそれを聞いた時、”急だな“とは思ったが、びっくりはしなかった。
父は、高校生の頃から糖尿病を患って、急に弱くなった。
それが徐々に悪化して・・結核だった。
急遽帰って最期の様子を聞いた。
地震からあと、全然病院に行っていなかった。
本来なら入院が必要な体だったのに・・
父はよく言っていた
「わしは医者が嫌いだ!診てもらいたくない」
と、結局それを実行して逝った、ということになる。
その最期の様子を聞いたとき、私は急に父に敬意を覚えた。
有言実行・・医者嫌い、その嫌悪感は本人には大きくマイナスだったはずである。
しかし、プラスマイナスは関係なしに、自分の意地を命に優先させた最期が、私には魅力的だったのである。
葬儀の時、私は喪主として挨拶した。
「お忙しい中ご会葬頂ありがとうございました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・
父は医者嫌いでした。その意地を通して逝きました。今はやっと楽になれました」
私も変わっているのか?
このときほとんど悲しくはなかった。
最期を魅せてくれて、高揚した・・そんな気分だった。
(この1年後に父を思いだし涙したことが1度だけあった)
現在、逝ってしまった父に2言
意地を通す生き様を魅せてくれてありがとう・・
親に敬意を抱かせてくれてありがとう・・
矛盾であるが、生きている父に言いたかった2言となってしまった。
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