2012年07月04日

つっこみどころも設定に楽しむ(映画:ファイナル・ジャッジメント)

knk002.jpg

最近、また映画を見に行く事が多くなって、その感想を書いて行きたいとおもいます。

「ファイナル・ジャッジメント」
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD21560/index.html

幸福の科学出版の作品でした。
当然というか、宗教が主テーマになる。
私は、もともと、そういうのが好きではないのですが、

『ノストラダムス戦慄の啓示』を18年前に見て、(この時は街をぶらぶらしていて、暇だったの見た)
そこそこ面白かったので、今回も見に行ったわけです。

あらすじから、日本が外国に占領されて、地下組織・運動によって
独立を回復する、という物語かと思っていたら、

運動は、「宗教」のちから(というか、教えを演説し説得すること)で、自由?を勝ち取っていく、というストーリーでした 。

現実的とは思えませんが、
映画とかのストーリーは架空の設定に乗って楽しむものだとおもいまして、程々には楽しみました。


ここの中で一番説得力あるっぽく感じたのは
父の姿に化けた悪魔と主人公との対話。
悪魔は、主人公が悟りを開くのを邪魔するため
父親(故人)の姿で修行中の主人公の前に現れます。

「世に争いごとが絶えないのは、思想・宗教があるからだ。自分の思想の方が優れていると思いたいからそれより豊な国を攻めたくなる。
あの頃はみんな左翼思想にハマった。自分も被害者だ。」
(若干言葉違っていたと思いますが、こういう意味合いでした。

この悪魔の台詞は、大人の思考からだとあり、だと思います。
(主人公が最後に渋谷の交差点で演説する台詞以上の大人の言葉だったと。これに対する明確な反論はなかったので、そこが消化不良かな)

こんな風に、敵方の台詞のほうが説得力がある、って感じることはよくあります。
posted by しくむ at 10:26| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 心のつぶやきに言葉を(著作・映画編) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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