2005年07月28日

最後にもらした本音に好感  講演会「中国古典に学ぶリーダーの条件」レポート (その3)

 (昨日からの続き)

終わりに・・私は質問2つした。
池本「性悪説の帝王学として韓非子を取り上げられましたが、韓非子の中でこれは!という言葉を教えてください」
講師「・・・忘れてしまったなぁ・・この本を読んでいただければ・・・」
4837920675.jpg

別の質問から
講師「中国では友人がいないと、まともに生きていけない。・・信用するのはまず、身内。そして、次が友人。・・その他は赤の他人で、どうなろうが知ったこっちゃない!そういう感覚です。」

池本「関連して・・、冒頭に経世済民(世を潤し民を救う)、先憂後楽(人の上に立つ人は、民より先に憂いて、後に楽しむ)という立派な言葉が出ましたが、今の、”赤の他人がどうなろうと知ったこっちゃない”とは相容れないというか正反対ですよね。・・これは、一般庶民がそういう感覚で、政に携わる人は、人民のことを先に考える徳のある人なのでしょうか?」

講師「とんでもない!政治に携わる・・権力を持っているような人間は・・人民をけし粒みたいに思っている。階層の差なんて酷い物だ。日本と比べてどちらが社会主義だ、といいたくなる・・・・」



と、最後に講師の本音の一端がかいま見えた。

中国古典は「論語」に代表される性善説の立派なことわざがある。
君子は・・徳を持って治め、人民がそれに魅せられてそれについていく。そうやって理想の社会を築いていく。

その、君子の徳とは・・仁義礼知・・

このような、教訓、ことわざに魅せられて、中国古典ひいては中国の魅力に取り付かれていく・そういう人も多い・・
今回の講演は、この性善説の教訓・諺から成っていたように思えた。


しかし・・中国古典には、きれい事を廃した冷徹なリアリズムに基づく人間観、術を述べたものが一方にある。性悪説はそこに分類されるだろう。聞いて・読んで、決して愉快ではないが、そこに大いなる真実を感じずにはいられない。不快感の中に魅力がある。

今回の話、楽しみながら聞いたが、私が一番聞きたかったのは、こちらの話なのである。
そういう意味で、「韓非子」を質問し、「経世済民」や「先憂後楽」に疑問を投げかけたのです。

守屋3.jpg
私の最後の質問に答えた講師の言葉は本音であったと思う。
中国古典に魅力を感じながらも、徳や理想からはかけ離れた現実的で自己中心的な中国人に好意は持っていない。・・そんな風に想像する。・・・もっとも、そうでなければ(中国を崇拝しているような人なら)私がその著作に魅力を感じたりはしない。
講師の最後の言葉に私はピリッとした辛みを感じそれがまた快感でもあった。
posted by しくむ at 00:34| 埼玉 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 教室レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ご紹介ありがとうございます。
私の知らない中国古典も沢山あるので、もっと読まなくちゃと思いました。

北京の大学での授業で「孔子の言ってることは確かにすばらしいけれど、孔子が言う<君子は君子らしく、臣下は臣下らしく>は死ぬまで自分の立場を守れと言ってるのだから、帝にとっては自分の立場を安定させるのに効果的だったから儒教を推奨したにすぎないよ。」と言われておりました。
またイタリアでも教えていた事がある名物教授は「イタリア人から散々小馬鹿にしたような言い方をされましたけれど、確かにローマ期のような<民主主義のおこりとか>そういった科学的な内容のものは中国史には少ないかもしれません。そういったものが欠けていると知った上で私は研究をしています。」と言っておられました。
(クラスには西洋の学生もいます。)

西洋の人からみて、東洋の文化にかけているとみられる部分を意識してお話していくことも大切だな、その謙虚さがいいなと思いました。



Posted by まゆみ at 2012年03月23日 02:32
中国も国だと尊大っぽい言動が印象的なのですが、インテリは個人的に謙虚なんですね。その謙虚さがまた強さになるってことでしょうかね。
Posted by しくむ at 2012年04月01日 00:31
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。